「母数」(parameter)は統計の術語で,「確率分布を特定するための定数」のことです。たとえば,確率分布の一つである正規分布は,平均と分散を決めることで特定されます。ですから,平均と分散は正規分布の母数です。

「JISZ8101-1 統計-用語及び記号-第1部:一般統計用語及び確率で用いられる用語」では次のように定義されています。

2.8 (確率)分布族 (かくりつ)ぶんぷぞく(family of distributions) 確率分布(2.11) の集合。 注記1 確率分布を区別するとき,確率分布のパラメータ(2.9) がインデックスとしてよく用いられる。 注記2 確率分布の平均(2.35) 及び/又は分散(2.36) が,しばしば分布族のインデックスとして用いられ,又は分布族を表すのに三つ以上のパラメータが必要な場合はその一部として用いられる。平均及び分散は,分布族の明示的なパラメータであるとは限らず,パラメータの関数の場合もある。

2.9 パラメータ,母数 ぱらめーた,ぼすう(parameter) 分布族(2.8) のインデックス。 注記1 パラメータは,一次元のこともあり,多次元のこともある。 注記2 分布族の平均に直接対応付けられるパラメータを位置母数(ロケーションパラメータ)と呼ぶことがある。標準偏差(2.37),又はそれに比例するパラメータを尺度母数(スケールパラメータ)と呼ぶことがある。位置母数でも尺度母数でもないパラメータを,形状母数(シェイプパラメータ)と呼ぶことがある。

この「母数」という語には,次のような誤用があります。

  1. 「母数」を「分母の数」の意味で使う。
  2. 「母数」を「サンプルサイズ」の意味で使う。

これらの誤用については,「統計学の基本用語.母数は分母でも全数でもない!」など,さまざまなところで指摘されているのですが,無くなる気配がありません。

それどころか,間違った意味を掲載した辞書さえあるので,この語の使用自体を諦めた方がいいかもしれません。

第1の誤用は,『精選版 日本国語大辞典』に掲載されていました。(4については精選版でない『日本国語大辞典』も完全に同じ。)

  1. 歩合算における元金の称。〔慶応再版英和対訳辞書(1867)〕
  2. 助変数(媒介変数)のこと。
  3. 統計学で,母集団の特性を示す定数。母平均と母分散の総称。〔統計学の話(1949)〕
  4. 分母のこと。

母平均と母分散以外にも母数になるものはあるので3も怪しいのですが,4はダメです。(統計学の用語ではなく一般の用語として載せているというのであれば仕方ありません。)

第2の誤用は,手元の辞書では唯一,『広辞苑 第七版』(岩波書店, 紙版, 2018)に掲載されていました。

  1. 歩合算で元金の称。
  2. 助変数に同じ。特に,確率変数の助変数についていい,母集団の特性を表す母平均や母分散などのこと。
  3. 統計学で,母集団の数。

曖昧な記述ですが,「母集団のサイズ」を思わせる3はダメです。(「統計学で,」を削除して,一般の用語として載せるというのであれば仕方ありません。「統計学の用語を使って説明すると」ということであれば,「母集団の数」ではなく「標本の大きさ」または「標本サイズ」,「サンプルサイズ」とすべきです。「標本数」や「サンプル数」は不可)

ちなみに,広辞苑第3, 4, 5, 6版の記述は次のとおり。

  1. 歩合算で元金の称。
  2. 助変数に同じ。
  3. 推計学で,母集団の特性を表す定数。

旧版の2と3が合わさり,誤りが新たに追加されたわけです。どうしてこうなった?

辞書はかがみ(ことばを写す鏡・ことばを正す鑑)ということが言われますが,私は断然「鑑派」です。少なくとも術語についてはみんなそうであってほしいものです。「足し算」の意味で「積分」と言うようになったら困るでしょう。

追記:『大辞林 第四版』(三省堂, 紙版, 2019)は大丈夫です。

  1. 統計学で,母集団の特性を表す値。
  2. 歩合算で,元金をいう語。
  3. 媒介変数のこと。助変数。パラメーター。

コトバンクにある,デジタル大辞泉・百科事典マイペディア・世界大百科事典 第2版・大辞林 第三版は大丈夫です。

追記:数学の術語としての「母数(modulus)」には,次のような意味があります。

第1種楕円積分
数式
において,パラメータkをこの楕円積分の母数という。(『数学入門辞典』