糸井氏は言う、「大切な判断をしなければいけないときは、必ず科学的に正しい側に立ちたい(p.11)」と。しかし、彼の能力が発揮されるのは、現時点では科学的とは言えない領域においてだ。

  • 糸井 ベビースキャンが福島の病院で稼働しはじめたときのニュースで印象的だったのは、発表の記者会見のと気に、早野さんが「これは科学的には必要の無い機械です」っておっしゃったことです。(p.121)
  • 糸井 ぼくが測定に立ち会う係だったら、「カリウムのことは先に言いましょうよ」って提案すると思います。(中略)測定後の安心感も、より確実になるような。(p.125)
  • 早野 科学者は「こういう前提において、この範囲では正しい」というふうに説明しようとする。でも、これは一般の人にはわかってもらえないのですね。(p.171)

こういう話は、うんざりさせられるものであり、我が身を省みさせるものであり、改善しなければならないと思わされるものである。

表紙早野龍五・糸井重里『知ろうとすること。』(新潮社, 2014)

一般の人についての科学、その科学における正しさ、その正しさを踏まえて行動することについての科学。その科学において正しい側に立ちたいものだ。